精神科訪問看護全般
2025-02-12
こころが回復する感覚

みなさんこんにちは
精神科に特化した訪問看護
聴き上手です。
こころの回復を感じたことがあったのでそのことについて話したいと思います。
もう10年近くのお付き合いのある利用者さんがどういったわけかその日は表情が硬くて言葉少なく、私には何があったのか話してくれませんでした。
Aさんに起きたことを一緒に整理できたら・・・
と思いましたが、その日はどんな投げかけにも黙ってしまい、私が黙っていても沈黙の時間が延々と続きます。
Aさんは思考のフリーズが起こりやすい人です。
考えているようで、その思考はおなじところをぐるぐる回っていて、その、ぐるぐる回っている時間を=考えていると表現していました。
それが、ぐるぐる思考であって考えているというより空回りしているに近いねと共有できるようになったのも最近のことです。
ぐるぐるするのが苦しくて急に突拍子もない決断をして割と大胆な行動に出ることもありました。
スイッチが入ってしまうと考えているようで考えることができずぐるぐるする。それは答えも出なくてしんどくて辛い。じゃあ考えないで直感でもういいやとなると周りが驚くような思い付き行動に至る。
そんなことが時々あってそれが、良い結果に結びつくときと、そうでない時がありました。
どうやら「〇〇〇〇」のキーワードが働くときAさんの思考は止まる
そこまでは一緒に解明できているのですが、一番重要な「〇〇〇〇」の正体がいまだわからないのです。
その日のAさんのフリーズは久しぶりでありかつ「周囲は完全にシャットアウト」の状態だったわけです。
その状態はとても息苦しく、考えが進まない、言語化もできない、片付けられない重たい石がこころにのしかかっているような辛い状況なのだと思います。
一緒にいる私も苦しいなと思いました。Aさんの苦しさやしんどさに何もできていない自分がいたからです。
でも、私がいつもと違う違和感を感じたのは、その重たい石に「意志」を感じたからでした。
その「意志」とは「今日はこの人には話さない。」と決めている「意志」です。
もちろんAさんがそう言ったのではありません。でも、何故かその日発せられた少ない言葉の端々からか?それとも態度からなのか?その「意志」を感じ取りました。
何が起きたのかもわからない、何故今日に限って話せないのかもわからない、話せないのか話さないのかもわからない、話さないのなら何がそうさせたのかもわからない
わからないだらけです。
私はというと・・・・・・諦めて帰りました。
こういう時は時間を長く見積もった方がうまくいくことが多いからです。時間が解決してくれるというか、その時に無理に何かをこじ開けようとしてもうまくいかないことが多い。
だから諦めて帰りました。Aさんはどう思っていたのか?わかりませんでした。思っていることを話さない以外にはいつも通りだったのでそれはそれでまた違和感がありましたが
もうこれ以上考えても感じてもわからないものはわかりません。諦めました。また時を変えて話してみることにしました。
ただ、どうやら私のこころが何かにとても傷ついたようでそのあと、久しぶりにとても重くふさがった気持ちになりました。
そこで、私のこころに何が起きたのか感じ、考えてみました。
あの日感じたこと、私がとても重くふさがった気持ちになった理由は何だったんだろう?何がそうさせたのかな?と考えてみました。
「ちゃんと聴けなかった。」ことの罪悪感
自分が役割を果たせていないという無力感
こころの距離感を誤算していたことのショック
対話からシャットアウトされたような孤独感
Aさんから締め出されたような感覚がして、そこには2人いたはずなのにひとりだったと感じたことなどなど。
それなりにいくつか自分の気持ちが重くふさがったようになった理由が思い当たりました。
要はそこに「対話」は存在していなくて
お互いのモノローグが二つ存在していた
その状態から私は「拒絶」のメッセージを受け取って傷ついたんだなと思いました。
Aさんとは長い時間をかけて関係をつくり続けてきたのですが
その全てが「拒絶」されたように感じていたのです。
「過度の一般化」のフィルターで捉えていたんだと気が付きました。
何かが起きていたことは事実ですがその一つの場面で対話がうまくいかなかったことは私とAさんの関係性全てを表すものではないと捉え直しました。
まあ、それでも、気持ちが晴れ渡るということはなくて、重たい気持ちが続いていました。なんとなく何もしたくない、気持ちがふさいでいる感じです。
でも、「こころ」はすごい。それからAさんには会えていないので、状況が進展したわけではないのですが、日にち薬で時間を追うごとにこころが回復していることを実感しました。
つっかえていた「重み」がふとした瞬間に「あれ?軽くなってる。」と感じるようになり、少しずつこころが軽くなって回復していくのを感じています。
こころで感じていることを丁寧にみつめていくことは、自己理解の第一歩ですね。自己理解はときに癒しでもある!
本当はそこで何が起きていたのか、答えは出ない。
人の記憶はいい加減なもの。
もう二度とあの時間、あの瞬間を正しく思い出すこともできないし、だからこそ前を向いて進んで行ける。
Aさんとはまた、未来で対話を重ねていこうと思います。
「未来」はこころの薬なのかもしれません。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。