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日々のつぶやき

2024-12-07

精神科訪問看護は医療?福祉?…ビジネス?

みなさんこんにちは精神科に特化した訪問看護聴き上手です

最近精神科を専門とする訪問看護が急増していて
あらゆる地域において精神科を標榜する訪問看護が乱立しています。

私たち聴き上手は、2013年に開設された訪問看護ステーションミント
から派生してより地域に密着した訪問看護を実現すべく加古川市で
開設させていただきました。

2013年にミントを開設した時には「精神科の看護師さんて来て何をしてくれるわけ?」
とか「よくわからない。」と言われることがとても多かったです。
形のない支援もあるなと感じていた私はとても戸惑いながら、自分でも模索しながら、たどたどしい説明をしていました。

10年経つと時代が変わり、何もかもがビジネス化してついに福祉や医療もビジネスマーケットとして捉えられる時代がきました。

私がそれをはじめに感じたのは、障害者グループホームを開設した時です。
初めての事業ですし、ワンルームタイプのGHが少なかったので、手探りで準備を進めていました。その当時フランチャイズ形式で障がい者のグループホームでペットを飼い、保護犬を救いながら障がい者の人もペットに癒される生活を送るモデルが全国に拡大しつつありました。そして、そのビジネスモデルではまず、GHを沢山経営して、顧客を獲得してから訪問看護をすれば儲かりますというお話でした。経営する側も利用する側もウインウインでペットも救える素晴らしいビジネス!!!!・・・・・・・

説明会を聞きにいったものの、いい話のような気がする・・・・でも、なぜか違和感が拭えませんでした。

それで結局司法書士の先生に協力してもらってワンルームタイプのGHを立ち上げました。そのあとワンルームタイプのGHも増えて、私が聞きに行ったビジネスモデルをそのまま実践しているGH、精神科の訪問看護も次々と増えていきました。

ああ、本当に医療じゃなくてビジネスになったんだなと感じています。多くの人が精神科に特化した訪問看護を知ってくださるのはとてもいいことだと思います。利用者さんが自分に合った訪問看護を選ぶ、選択肢もある程度多いほうがいいと思います。人対人なので、合う合わないの問題は常にあります。

国立病院がどんどんと独立行政法人という名に変わり、日本から国立病院がなくなっていった頃から、医療のビジネス化は進んでいます。訪問看護も言うに及ばず。急激な高齢化社会のなかで、国民の健康をどう守っていくのか?まず、介護保険制度が導入されて、ケアマネ―ジャーの資格取得を積極的にすすめていきました。高齢者の入所施設や通所施設も爆発的に増えて、次は・・・・障がい者。世の中が複雑になり、メンタルヘルスの問題が社会問題になりつつある今、精神障がい者も増加。ニーズが増えればそこにビジネスチャンスが生まれ、医療はどんどんビジネスに侵食されているように思います。スピード感をもって物事を進めていくにはビジネスチャンスが開かれていた方が進みやすいというメリットもありますが、福祉や医療に興味関心のなかった企業がどんどん参入していくことでデメリットも生まれます。

認可事業なので、一定のレベルは保たれていると信じたいですが、方々で信じられないような話をよく聞くようになりました。福祉や医療の場で人を育てていくことには時間と労力がかかります。マニュアルを作成していれば大丈夫ということはなく、理念のもと理想と現実のギャップを埋めるということはとても高い壁だなと感じるような出来事が多々起こります。

そして、悲しいことに制度的にもさほど国から守られているわけではありません。ビジネスであり、営利法人なのだから、自助でなんとかしてくださいねと国は監視を強めても、補助はしないという姿勢ですから、BCP(事業継続計画)のお達しをみていても、「自助」「自助」「自助」・・・・国は面倒みれませんから、災害の時は自助でやりなさいというメッセージしか見えてきません。

医療や教育は国が主導して資本主義のビジネス思考から守られるべき分野だと思いますが、もはや国にその意識はないように感じます。

日本が教育に資金を投じてこなかった間に学校教育が崩壊し、子供や学生の間で様々な二極化が進み、不登校や引きこもり、自殺の若年化が漫然と放置されているように思います。悲観的な側面ばかりを捉えようとしているわけではありませんが、毎日のように送られてくるお達しのメールを見ていると、どうしてもそのような感覚に陥ってしまいます。

介護福祉医療がどんどんビジネス化されていった同じ流れが障がい者福祉医療にもやってきた。そういうことだと思います。精神科病院では様々な問題が浮き彫りになって、障害当事者の権利擁護の課題への議論も活発になりました。病院を退院した後、地域でどのようにリカバリーしていくか。又は入院まではいかなくても、メンタルの不調からどのようにリカバリーしていくかということが多くの人にとって身近な問題となったり、5080問題であったりとメンタルヘルスをどう保っていくかという課題が割と多くの人にとって身近なことになりつつあります。

分母が増えると需要が増え、そして供給が増える。受容と供給が成り立つと言うことはビジネスが成り立つということなので、多くのビジネス系企業が参入してくるのは当然の流れと言えますね。

そのような社会的背景があるのですが、私は本質を見失わずに精神科の訪問看護のありかたを探求していきたいと思っています。ひとりのひとの人生を支えたり、サポートしていると、それは、それは、いろんなことがあります(笑)。「はじめまして」と関係性を構築する入り口から難しさを感じることも多々あります。寧ろ、そこに結構な時間とエネルギーがかかります。

そして、一緒に生活を俯瞰してみていく。生活の中での回復とは何か、その人にとって大切なことは何か、というような課題から、日々の衣食住どうするの?まで関わりの幅も広い。なにせ「生活」に寄り添っていくと、治療的関りからリハビリ的関り、同じ生活者としての関係性、トラブル解決のお助けマン、時には友人的な関わり、家族の気持ちを汲む、煮詰まりに風を通す・・・・様々な引き出しをもっていることが求められるように思います。それは、形のある引き出しから形のない(みえにくい)引き出しまで・・・・。

私はよくミクロとマクロをいったりきたりしようとスタッフに言うのですが、これは具体と抽象をいったりたりするとか、全体と一部をいったりきたりするとかに置き換えられると思います。ひとはもともと複雑で矛盾に満ちています。だからこそ、人と人との関係が土台になる精神科の訪問看護では、単純化と複雑化の間をいったりきたり、狭義と広義の間といったりきたり、時にはそのひとつの部分にとどまり続けるという「ネガティブケイパビリティ」的姿勢が求められます。これは私は多くの人が苦手とする部分ではないかと思っているのですが、ひとと深くかかわる私たちのような職業を仕事としている者にとっては、その力をのばすことが必然的に求められていると感じます。

「わからなさ」はワクワクとした期待を生み出す装置でもあります。だからこそ、わからなさに挑戦し続けるステーションでありたいと思います。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。